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29話 幼馴染への頼み

last update Last Updated: 2025-02-11 09:56:37

14時過ぎにイレーネは自分の屋敷に到着した。

「やっぱり、馬車を使うと楽ね~。だけど、こんなに贅沢したら今にバチが当たってしまいそうだわ」

質素倹約を心がけているイレーネにとって、馬車を使うことはとても贅沢なことであり、後ろめたい気分にもさせてしまう。

「でも、これは足の裏に出来た豆のせい……そう、やむを得ずのことよ」

イレーネは自分にそう言い聞かせると扉を開けて屋敷の中へ入り、早速荷造りの準備を始める為に自室へ向かった。

「とりあえず、まずはこの服を着替えなくちゃね。片付けの最中に汚したり、破いたりしたら大変だもの。きっと今の私には弁償も出来ないくらい高級ドレスに違いないものね」

そこでイレーネは衣装箱から自分の粗末な服を取り出すと、早速着替えを始めた――

**

日が暮れ始めた頃――

「ふぅ……荷造りはこんなものかしら?」

荷造りを終えたイレーネは椅子に腰掛けると、ため息をついた。

彼女がマイスター伯爵家に持っていく荷物はトランクケース2つ分だけだった。一つは今自分が持っている全ての服。

もう一つには祖父の形見の品や、2人の思い出の写真。そして数冊の本。

「それにしても、持っていく荷物がたったこれだけだったなんて……こんなことなら1日もあれば準備なんて十分だったかしら?」

そこまで考えていたとき……

――コンコン

がらんどうな屋敷の中に、ドアノッカーの音が響き渡った。

「多分、ルノーね」

イレーネは椅子から立ち上がると、玄関へ向かった。

扉についているドアアイを覗き込むと、やはり訪ねてきたのはルノーだった。

「いらっしゃい、ルノー」

イレーネは扉を開けた。

「良かった……今日はちゃんといてくれたんだな? 本当に昨夜は驚いたよ。訪ねても君がいないんだものな。驚きで心臓が止まるかと思った」

「大袈裟ね、ルノーは。どうぞ入って」

クスクス笑いながらイレーネはルノーを屋敷に招き入れた。

「それで、俺に大事な話って何だ? いや、その前に昨夜一体何があったんだ? どこにいたんだよ」

椅子に座るなり、ルノーは矢継ぎ早に質問してくる。

「ルノーはせっかちねぇ。はい、まずはお茶でもどうぞ」

イレーネは淹れたての紅茶をテーブルに置くと、自分も向かい側の席に座った。

「あ、ああ。ありがとう」

気を落ち着かせるためにルノーは紅茶を口にする。

「ルノー。あなたは私の幼馴染であり、弁護士で
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    「さぁ、ここがこの町一番のブティックよ。どう?」ブリジットが両手を腰に当て、背後にいるイレーネに声をかけた。「まぁ……! なんて大きなブティックなんでしょう。それに、沢山のドレスが並んでいますね」イレーネはガラス窓から店内を覗き、感嘆の声を上げる。「それはそうよ。このブティックは私たちのような貴族しか買えない高級ドレスばかりなのよ。何と言っても、ここはマダム・ヴィクトリアのお店なのだから」ブリジットの連れの黒髪女性が自慢気に語る。「マダム・ヴィクトリア……? そんなに有名な方なのですか?」「あなたって、本当に何も知らないのね? まぁ、そんな貧相な服を着ているのだから知るはずもないでしょうけど。マダム・ヴィクトリアの作ったドレスは今若い貴族女性たちの間で流行の最先端をいってるのよ。彼女のドレスを着るだけで、自分の価値を上げられるのだから」その言葉にイレーネは目を丸くするす。「そうなのですね? 自分の価値を上げられるなんて……素晴らしいです。決めました、私もこのお店で服を買うことにいたします。ご親切にアドバイスをいただき、どうもありがとうございます」お礼を述べるイレーネに、当然ブリジットと連れの女性は驚いた。「は? あなた、一体何を言ってるの? マダム・ヴィクトリアは一流デザイナーだから、それだけドレスの値段が張るのよ? あなたみたいな貧乏人が買えるはず無いじゃないの! 店内に入っても追い払われるだけよ」黒髪女性が目を吊り上げる。するとブリジットが止めに入った。「いいわよ、それじゃ私たちが一緒にお店に付き添ってあげるわよ」「え? 何を言ってるの? ブリジット」「落ち着いて、アメリア」ブリジットは連れの黒髪女性、アメリアの耳元に囁く。「どうせ、彼女は店に入ったところで追い出されるに決まってるわ。だから私たちが付き添って店に連れて行くのよ。どうせお金なんか持っていないのだから買えるはず無いじゃない。彼女に恥をかかせて、身の程を教えてあげましょうよ」「なるほど……それは面白そうね?」「ええ、でしょう?」2人の令嬢がコソコソ話をする様子を、イレーネは首を傾げて見ている。「話は決まったわ。私たちが一緒にお店に行ってあげるわよ。ついてらっしゃい」ブリジットがイレーネに声をかけた。「本当ですか? ご親切にありがとうございます。正直、私一

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    「しかし……本当に一人で出かけてしまうとは……」ルシアンは2階にある書斎の窓から、イレーネが門を目指して歩く後ろ姿を見つめてため息をつく。「ええ、全くイレーネさんの行動には驚きです。馬車まで断るのですから」リカルドの顔にも心配そうな表情が浮かんでいる。「だが、馬車を出すように命じるにも……説明できなかったしな……早いところ全員に彼女を紹介しなければ……」しかし、あくまでこれは1年間の契約結婚。そんな相手を使用人たちに堂々と自分の結婚相手だと説明しても良いものかどうか、ルシアンは悩んでいた。「もう、事実は伏せて結婚相手だと伝えるしか無いのではありませんか? それに……」「それに? 何だ?」途中で言葉を切ったリカルドにルシアンは尋ねる。「いえ、何でもありません。さて、それでは外出準備を始めましょうか?」「ああ、そうだな。先方を待たせるわけにはいかないからな」ルシアンは立ち上がると、書斎机に向かう。その姿を見つめながらリカルドは思った。ひょっとすると、この結婚は本当の結婚になる可能性もあるのではないかと……。**** その頃、イレーネは――「どうもありがとうございました」辻馬車で駅前に到着したイレーネは馬車代を支払うと、『デリア』の町に降り立った。「本当に、この町は『コルト』と違って大きいわ……」辺を見渡せば、大きな建物が綺麗にひしめき合っている。町を歩く人々も大勢いた。「さて、ひとりで町へ出てきたのはいいけれど……洋品店は何処にあるのかしら」キョロキョロと周囲を見渡す。「町へ出れば、何とかなると思ったけど……交番で尋ねてみようかしら……」そこまで言いかけ、首を振る。「いいえ、迷惑はかけられないわ。自分で何とかしましょう」そしてイレーネはひとりで洋品店を探すことにした。**「まぁ、なんて美味しそうなケーキ屋さんかしら。あら? あの店は本屋さんだわ。あんなに大きい本屋さんがあるなんて、流石は大都市『デリア』ね」あれから30分程の時間が流れていた。今や、イレーネは本来ドレスを新調するという目的を忘れて町の散策を楽しんでいた。「あら? ここは雑貨屋さんかしら?」ショーウィンドウにへばりつくように、窓から店内の様子を伺っていると女性たちの会話が近づいてきた。「それでこの間ルシアン様に会いに行ったのに、外出中で会えなか

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   44話 イレーネの支度金

     それからきっかり1時間後――イレーネはリカルドの案内でルシアンの書斎にやってきていた。「イレーネ嬢、わざわざ足を運ばせてすまないな」書斎に置かれたソファに向かい合わせで座る2人。「いいえ、どうぞお構いなく。丁度暇を持て余していたところでしたので。いつもなら庭で畑作業をしている時間でして……お恥ずかしいことに時間の潰し方を良く知らないものですから」「な、何だって? 畑仕事?」その言葉に耳を疑うルシアン。「はい、そうです。食費を浮かす為に家庭菜園をしておりました。幸い、庭がありましたので季節ごとに様々な野菜を育てていたのですよ? 今の季節ですと、玉ねぎ、人参が収穫できます。採れたての野菜は甘みもあって、とても美味しいんです」「そ、そうだったのか……?」傍らに立つリカルドはハンカチで目頭を押さえている。「……うっうっ……ほ、本当に……なんて健気なイレーネさん……」その様子を半ば呆れた眼差しで見つめていると、イレーネが声をかけてきた。「あの、それで私にお話というのは?」「あ、ああ。そのことなのだが、イレーネ嬢に支度金を払おうと思って呼んだのだ」「まぁ……支度金ですか?」イレーネの目がキラキラ輝く。「そうだ、そのお金で服を新調するといい。さて、何着あればいいだろうか……?」「3着もあれば十分です」「な、何!? たったの3着だと!?」「はい、外出着は3着もあれば十分です。勿体ないですから。普段の服は私が持ってきたもので十分ですし」「イレーネ嬢、それは……」ルシアンが言いかけるよりも早くリカルドが反応した。「いいえ! それは駄目です! イレーネさん! 3着と言わず、その10倍……いえ、100倍は作るべきです!」「何だって!? 300着もか!?」これには流石のルシアンも目を見開く。「まぁ! 300着ですか? いくら何でも300着なんて無謀です。本当に、最低限揃えてもらうだけで十分なのですが……」遠慮するイレーネにリカルドは畳み掛ける。「イレーネさん。マイスター伯爵家は、とっても大金持ちなのですよ? 何しろ世界中に取引先がある貿易会社を営んでいるのですから何の遠慮もいりません。欲しいものはどんどん仰って下さい!」「お、おい……! リカルド、お前は一体何を勝手なことを……!」そこまで言いかけた時、ルシアンはこちらをじっと見つ

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   43話 丸投げ

     食後の紅茶を2人が飲み終わる頃、ようやくリカルドがダイニングルームに戻ってきた。「リカルド、お前は今まで一体何処に行っていたのだ?」ルシアンがじろりと睨みつける。「はい、それが……厨房に顔を出して、2人分のお食事を用意して貰いたいと伝えたところ……その場にいた使用人達に囲まれてしまいました。それで、イレーネさんのことを根掘り葉掘り尋ねられてしまって……」「何だって……それで何と答えたんだ?」「そ、それは……」リカルドは興味津々の眼差しで自分を見つめるイレーネに視線を移す。「私の口から無責任なことを伝えるわけにはいかないので、ルシアン様から後ほど直接話があるので待つように伝えました」何とも無責任な台詞を口にするリカルド。ルシアンが切れたのは言うまでも無い。「リカルド! それでは俺に全て丸投げしているも同然じゃ……」そこでルシアンは口を閉ざす。何故ならイレーネがじっと自分を見つめていたからだ。女性の前で声を荒げることをしたくないルシアンは、ゴホンと咳払いをするとリカルドに命じた。「リカルド。イレーネ嬢は紅茶を飲み終えたようだし……ひとまず今は部屋に案内してあげてくれ。そうだな……1時間後、俺の書斎に来て欲しい。まだまだ話し合わなければならないことが山積みだからな」「はい、かしこまりました。私が責任を持ってイレーネさんをお部屋までご案内します」笑顔で返事をするリカルドにルシアンは釘を刺す。「言っておくが、お前にはまだ言いたいことが残っている。イレーネ嬢を部屋に案内したらすぐにここへ戻ってこい」「はい……」落ち込んだ様子で返事をするリカルド。そこへイレーネが会話に入ってきた。「ルシアン様、私なら大丈夫です。部屋の場所は覚えているので1人で戻れます」「いや、しかしだな……万一、リカルドのように使用人に捕まってしまえば……」ルシアンは言葉を濁す。「そのことなら御安心下さい。私、こう見えても口は固いです。何か問われても、ルシアン様から伺って下さいと伝えますから」「そ、そうか……?」引きつった笑いを浮かべるルシアン。(やはり、2人とも……俺に全て委託するというわけだな……)「分かった。では申し訳ないが……イレーネ嬢は一旦席を外してくれ。リカルドと2人で話をしたいからな。そして1時間後、今度は俺の書斎へ来てくれないか」「はい、ル

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   42話 遠慮は無用

    (何だか……今朝は随分給仕の人数が多いな)ルシアンはダイニングルームで給仕をする使用人たちを見渡した。普段なら給仕の人数は1人、ないし2人。それなのに今朝に限っては違った。2人のフットマンに、3人のメイドまでいるのだ。全員、明らかにイレーネを意識しているのは明白だった。「紅茶はいつお持ちしますか?」メイドがイレーネに尋ねる。「そうですね、ルシアン様はいつお飲みになっておりますか?」突然話をふられたルシアンは戸惑いながらも答えた。「え? 俺は普段は食後にもらっているが?」(あのメイドは何故そんなことを聞いてくるのだ? 普段は何も言わずに食後に紅茶を淹れてくるはずなのに! 大体、どこで俺とイレーネ嬢が朝食を一緒にとることがバレてしまったんだ? リカルドは何をしている!)一言、リカルドに文句を言ってやりたいところだが肝心の彼は生憎不在だ。(くそ! ここ最近、勝手な真似ばかりしおって……後で呼び出して説教してやらなければ……!)ルシアンのどこか落ち着きのない様子をみて、イレーネが首を傾げる。「ルシアン様、どうかされたのですか?」「え? あ……何でも無い。ただ……何故、今朝に限ってこんなに給仕が集まっているのか不思議に思ってな」その言葉に、使用人たちが一斉に肩をビクリとさせる。「もう、全ての料理を並べ終えたのだろう?」傍らに立っているフットマンに尋ねるルシアン。「は、はい。ルシアン様。食事は全て提供させていただきました」「そうか……なら、お前たちはもう席を外してくれ。彼女と2人きりで食事をしたいからな」ルシアンはゆっくり、全員の顔を見渡した。「分かりました……それでは我々は一旦席を外させていただきます……」使用人たちはチラチラとイレーネに視線を送りながら、ダイニングルームを出て行った。――パタン扉が閉じられるとルシアンはため息をついた。「全く……好奇心旺盛な使用人たちだ。さて、それでは食べようか」「私も好奇心旺盛ですよ? それにしてもこのマイスター家には大勢の人たちが働いていらっしゃるのですね。私の働く隙もないほどです。……まぁ! 本当にこちらのお食事は美味しいですね」料理を口にし、笑みを浮かべるイレーネ。「そうか、口にあって何よりだ。だが、メイドの仕事は考えないでくれ。君の役目は俺の妻を演じることなのだから。実は……

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